『ミケランジェロの暗号』感想・紹介・レビュー【虚々実々な攻防戦】
ミケランジェロの暗号
2011年に公開されたオーストリア・ルクセンブルクの戦争サスペンスコメディ映画。
監督・脚本の脚色をヴォルフガング・ムルンベルガー、脚本をポール・ヘンゲが務めた。
出演
- モーリッツ・ブライプトロイ
- ゲオルク・フリードリヒ
- ウーズラ・シュトラウス
- マルト・ケラー
- ウド・ザメル
- ウーヴェ・ボーム
- ライナー・ボック
序盤のあらすじ
ユダヤ人画商一族、カウフマン家が密かに所有するミケランジェロの絵。
それはムッソリーニも欲するほどの国宝級の代物だった。
ある日、一家の息子ヴィクトルは親友ルディに絵の在りかを教えてしまう。
ナチスに傾倒していたルディは、軍で昇進するためにそれを密告。
一家は絵を奪われ収容所へと送られる。
一方ナチスは、絵の取引の材料にイタリアと優位な条約を結ぼうとしていたが、奪った絵が贋作であることが発覚する。
本物の絵をどこかへ隠した一家の父は、すでに収容所で死亡していた・・・。
引用:(c)2010 AICHHOLZER FILM & SAMSA FILM ALL RIGHTS RESERVED.
今作は、2007年に公開され第80回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞した『ヒトラーの贋札』の製作陣が、ナチスから迫害の只中にあったユダヤ人画商ヴィクトル・カウフマンが過去に親友であった将校とバチカンから盗まれた「失われたミケランジェロ」を巡り、熾烈な争奪戦を繰り広げる様を描いた作品。
ストーリー自体は全体的に淡白な印象を受けるのだが、無駄に複雑な展開に伏線、人間関係などはほとんど無いのもあり、終始頭を使うことなく脱力したまま気軽に観ることが出来る作品に仕上がっている。
そして、ナチスなどを題材にした映画にありがちな凄惨な拷問シーンなども基本的には無い(脅迫シーンや必要最低限の暴力シーンはある)し、洋画にありがちな無駄なお色気シーンもないのでそういった意味でも観易い。
冒頭でカテゴリーを「戦争サスペンスコメディ」としたが、パッと見は共存出来ないであろうイメージだと思う。
しかし、今作を観ればそれを理解出来るのではないだろうか。
若干出来過ぎ感は否めないとはいえ、シンプルな展開にも関わらずしっかりと見応えがあって尚且つ、胃もたれしない程度にコメディテイストが効いている。
中々考えて作られているんだろうなと感心した。
当時実際に言われていたのかは定かではないが、ユダヤ人を見分ける方法の1つに「割礼していればユダヤ人」というものがある。
今作の中でもそのようなシーンが用意されていて、下着を脱がされたユダヤ人捕虜(実際はナチス)が「それは包茎手術の痕ですー!」と叫ぶのだが、記事を書いている今でも思い出すと笑えて来る。
ただ、ポスターやタイトルの印象から重厚な歴史映画を期待してみてしまうと、がっかりしてしまうのでオススメしない。
ユダヤ人強制収容などの重い話は、事実として単純に伝えるだけでストーリーの展開とは直接関係なく突っ走っていく。
そもそも、今作は政治サスペンスを銘打って作られているわけではないので、そういう観方自体が間違っているような気はするが、レビューで上記のようなパターンで評価を下げている人も居るので念のため。
安心して欲しいのは、作品としてしっかりと作られていて素晴らしい出来になっている。
ストーリーの展開と共に二転三転する立場の違いや、悲惨だった狂気の時代に1つの絵を巡った虚々実々が入り乱れた攻防劇。
他の作品ではあまり感じ得ないハラハラドキドキ感を感じながら観る事が出来るだろう。
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『1917 命をかけた伝令』感想・紹介・レビュー【忘れられた戦争】
1917 命をかけた伝令
2019年に公開されたイギリス・アメリカ合衆国の戦争映画。
監督・脚本をサム・メンデス、共同脚本をクリスティ・ウィルソン=ケアンズが務めた。
出演
- ジョージ・マッケイ
- ディーン=チャールズ・チャップマン
- マーク・ストロング
- アンドリュー・スコット
- リチャード・マッデン
- クレア・デュバーク
- コリン・ファース
- ベネディクト・カンバーバッチ
序盤のあらすじ
1917年4月6日、ヨーロッパは第一次世界大戦の真っ只中にあった。
その頃、西部戦線にいたドイツ軍は後退していた。
しかし、その後退はアルベリッヒ作戦に基づく戦略的なものであり、連合国軍をヒンデンブルク線(英語版)にまで誘引しようとしたのであった。
イギリス陸軍はその事実を航空偵察によって把握した。
エリンモア将軍は2人の兵士、トムとウィルを呼び出し、このままでは明朝に突撃する予定のデヴォンシャー連隊(英語版)第2大隊が壊滅的な被害を受けてしまうが、彼らに情報を伝えるための電話線は切れてしまったため、現地へ行って連隊に作戦中止の情報を伝えることを命じられた。
第2大隊には1,600名もの将兵が所属しており、その中にはトムの兄・ジョセフもいた。
引用:Wikipedia
今作は、第一次世界大戦に投入された2人の伍長代理であるウィルとトムの、とある1日を全編ワンカットに見えるような密着取材のような手法で撮影された作品。
あくまで”見えるように”であって、実際には動きを綿密に計算した複数回の長回しによって撮影された映像をワンカットに見えるように編集で繋げたもの。
今作の主人公2人は前述した通り「伍長代理」で、新兵ではない。
こういった作品だと新兵、もしくはその戦争の英雄的な存在に着目して作られることが多いのだが、それなりに複数の戦場を経験したのであろう上等兵であることに意味が有ると感じた。
新兵が感じる新鮮さから来る戦争の怖さではなく、理解しているからこその怖さ、理解しているからこその感情というのが映像から発せられる緊張感をより一層、重い物にしている。
先の事すら考える余裕などなく、”今” を必死に生き抜くことに全神経を集中させなければならない状況が続くさまは観ているこっちまで息が詰まるようだった。
ここで生きてくるのが「ワンカットに見える映像」で、主人公2人に常に寄り添っていることで視聴者は常に主人公と同じタイミングで同じ体験をし、同じ感情を抱けるということに一役買っている。
ただ、人によっては「ワンカットに見える」が故にどうしても映像自体が同じような場面の繰り返しに見えてしまう可能性も否めない。
この当時の戦争という過酷な現実世界で生きる事の本質を問いかけているような作風なのもあって、変に演出されたシーンや会話があるわけではないので好き嫌いがはっきり分かれるかもしれない。
個人的にはそう感じさせないためかどうかは分からないが、戦場の廃墟を映し出す光とそれによって浮かび上がる影や、戦火によって赤く染まる市街地の情景などは物悲しさは勿論だが、一種の美しさを感じるほどの映像美だと感じた。
しっかりと映像の中にも製作チームの工夫が見て取れる作りだと思うので、いわゆる「分かりやすい派手さ」が欲しい人以外は満足できるのではないだろうか。
野心的な取り組みなのもあって、所々気になる部分がないわけではないがこういった挑戦をしつつ「映画」という1つの作品を成立させることの出来る監督は多くないので貴重だろう。
中盤以降に主人公が直面する問題の場面では若干冗長になってしまっていたりするものの、作品を通して観ればかなり良い出来だと思うのでオススメ出来る作品と言える。
小ネタ
戦場でのシーンが主なため、大量の偽死体が設置された。
それに伴って、製作チームは地元住民などが死体を本物と勘違いしてしまう事を防ぐために「これらの死体は全て模造品です」という看板を設置した。
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『ロープ 戦場の生命線』感想・紹介・レビュー【上質な会話劇】
ロープ 戦場の生命線
2015年に公開されたスペインのブラックコメディ映画。
監督・脚本をフェルナンド・レオン・デ・アラノア、共同脚本をディエゴ・ファリアスが務めた。
出演
- ベニチオ・デル・トロ
- オルガ・キュリレンコ
- ティム・ロビンス
- メラニー・ティエリー
- フェジャ・ストゥカン
- セルジ・ロペス
序盤のあらすじ
1995年、停戦直後のバルカン半島。
ある村で井戸に死体が投げ込まれ生活用水が汚染されてしまう。
それは水の密売ビジネスを企む犯罪組織の仕業だった。
国籍も年齢もバラバラの5人で構成される国際援助活動家”国境なき水と衛生管理団”は、死体の引き上げを試みるが、運悪くロープが切れてしまう。
やむなく、武装集団が徘徊し、あちこちに地雷が埋まる危険地帯を、1本のロープを求めてさまようが、村の売店でも、国境警備の兵士にもことごとく断られ、なかなかロープを手に入れることができない。
そんな中、一人の少年との出会いがきっかけで、衝撃の事実と向き合うことになる・・・。
引用:(C)2015,REPOSADO PRODUCCIONES S.L.,MEDIA PRODUCCIONES S.L.U.
今作は、パウラ・ファリアスの小説『Dejarse Llover』を原作とし、1995年のユーゴスラビア紛争停戦直後である「バルカン半島のどこか」を舞台としている。
終結から20年以上が過ぎたこの悲惨な紛争を町中に設置された地雷や、重火器を当然の様に持っている少年、繰り返される銃撃戦で廃墟となった建物、数えきれないほどの墓標など様々なその当時の惨状を描きつつ作品として完成させている。
ストーリー展開的な部分にだけ言及すれば、特にこれといって盛り上がりがあるわけでもなく、いわゆる山や谷があるわけでもない。
しかし今作はそんな淡々と何処か気の抜けたような感じで進む中に、視聴者の心の奥をこれでもかと抉ってくるほどエッジの効いた風刺が描かれていたりするのもあって、油断はできない。
終始淡々と物静かに展開していくのもあって、人によっては合わないとは思うのだが個人的には物凄く好きな作品だった。
ネタバレになってしまうので詳細は避けるが、よくこんなストーリーを考えたなと関心してしまう。
ただ、あえて説明をせずに進むような場面が多いので、そのシーン毎にある程度脳内補完出来る人の方がもしかしたら向いているかもしれない。
前述した通り舞台としては停戦状態とはいえ、紛争地帯なのでグロや過激な暴力のシーンがあると心配する人も居るかもしれないが、その心配はいらない。
勿論皆無なわけではないのだが、上手くその存在をぼやかしているのでそういった描写が苦手な人も安心して物語の展開に集中することが出来るのではないだろうか。
そして、主要な登場人物も少なく絞られているので、急に出てくる人物などで惑わされることもない。
戦争や紛争を扱った映画として考えれば、ありがちな銃撃戦は皆無。
そういったものが好きな人には物足りないかもしれないが、無くても全くダレることなく良いテンポ感を保ちながら進むストーリーは素晴らしい。
一見するとドキュメンタリーのような気さえする世界の現実の過酷さに胸を打たれるが、終盤はキッチリと「映画」として上手くまとめられているのもよい。
ブラックコメディ的要素も要所要所に散りばめられていて、個人的にはオルガ・キュリレンコ演じる新人の演技が良かった。
序盤では動物以外の死体など見たこともなく、見るだけでかなりの精神的ショックを受けていた彼女も物語が進むにつれ死体に冗談を飛ばすようになってしまう。
この「異常な状態における感覚・感情の麻痺」が細かく描かれている。
ベニチオ・デル・トロが出演している作品で『ボーダーライン』というものがあるのだが、そちらの主人公(エミリー・ブラント)も徐々に麻痺していってしまう様が見事に描かれている。
しかし、あちらは戦地のど真ん中と言って良いような状態で尚且つ、その中に飛び込んでいくストーリーなのである意味で言えば麻痺してしまうのも当然かもしれない。
同じく麻痺するにしても様々な描き方があるんだなと感心させられた。
『ボーダーライン』の記事はこちら
紛争地帯が舞台にはなっているが、メインは主人公たちの会話劇なのもあって、派手なアクションやショッキングな演出に食傷気味であれば1度視聴することをオススメする。
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『MERU/メルー』感想・紹介・レビュー【命、情熱、自然】
MERU/メルー
2015年に公開されたアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画。
監督をジミー・チン、エリザベス・チャイ・ヴァサルヴェリィが夫婦で務めた。
出演
- ジミー・チン
- コンラッド・アンカー
- レナン・オズターク
- ジョン・クラカワー
- アミー・ヒンクリー
序盤のあらすじ
2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人はメルー峰へ挑むため、インドに到着した。
7日間のはずだった登山は、巨大な吹雪に足止めされ、20日間に及び挑戦は失敗に終わった。
敗北感にまみれた3人は、普段の生活へ戻っていく。
一方、心の中のメルーの呼び声が止むこともなかった。
そして2011年9月、コンラッドは2人の親友を説得し、シャークスフィンへの再挑戦を決意。
それは前回以上に過酷なチャレンジとなった......。
引用:(C)2015 Meru Films LLC All Rights Reserved.
今作は、インドのヒマラヤ山脈・メルー峰にある「シャークス・フィン」ルートの初めての登頂を記録したドキュメンタリー映画になっている。
ドキュメンタリーではあるのだが、映画という作品としての魅力は充分備えていて、刺客的にも叙述的にも観た者を引き付け、緊迫感や緊張感と共にそこにあるリアルなスリルを痛感できる。
メルー峰とは
メルー峰(Meru Peak)は、インド ウッタラーカンド州にあるガルワール地方のヒマラヤ山脈の山で、タレイ・サガーとシブリン峰の間にあり、非常に難しいルートがいくつか存在する。
「メルー」という名前は、タミール語の原始語である背骨を意味し、山の形を指していると考えられる。
標高は6,660メートル。
「エベレスト」「マッターホルン」などは、山や登山などに興味が無くとも聞いたことがある人は多いと思う。
そして今作の舞台である「メルー」は、世界最高峰の高さではない。
しかし、通常の登山であれば荷物などを運んだり案内役だったりするシェルパという同行者を雇って登山するのが基本なのだが、この山はそのシェルパを呼べるような山ではない。
とてもじゃないが信じられないほど垂直な急斜面だけでなく、山を形成する地層も脆いことで有名。
そんな中を登山するメンバーは全ての荷物をそれぞれが背負いながら、上記のような想像を絶する過酷な条件だけでなく急激に変化する天候の中で2週間程度かけて登らなければならないということもあり、登頂を成功させた人は居なかった。
そして今作の3人が初めて登頂に成功する。
その過酷極まりない出来事を様々なエピソードやインタビューを盛り込みドキュメンタリー映画として成立させている。
登山という物に興味が無いどころか、そもそもそんな危険を冒してまで登ろうとするのかという疑問を持ったことがある人も少なくないだろう。
そんな人だとしても、今作は最初の挑戦の失敗と2度目の挑戦の間に訪れた出来事などを含め人間ドラマとしての完成度が高いので楽しめると思う。
ただ、そもそもこういった角度からの見方は適切ではないと思うので不要かもしれないが、あくまでドキュメンタリーであって筋書があって描かれたものではない。
そのため、迫力のあるカメラワークがあるというわけでもなく特に凝っているような点もないし、どちらかというと淡々と進む。
しかしながら、派手さもなく淡々と進む映像だからこそこの3人に襲い掛かる自然の真実を感じることが出来る。
そんな死と隣り合わせの瞬間瞬間で、登場人物の細かい感情や心理がその映像からひしひしと伝わってくるので、エンターテインメントとしてのハラハラドキドキとはまた違った感覚を味わう事も出来る。
常識的には考えられない2度目の挑戦を行った3人が奏でる人間ドラマと、登山と過酷な自然を舞台にしたドキュメンタリーをバランスよく組み合わせることに成功している中々観ることの出来ない良い作品だった。
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『白鯨との闘い』感想・紹介・レビュー【海と人】
白鯨との闘い
2015年に公開されたアメリカ合衆国のヒューマンアクション映画。
監督をロン・ハワード、脚本をチャールズ・リーヴィットが務めた。
原題:In the Heart of the Sea
出演
- クリス・ヘムズワース
- ベンジャミン・ウォーカー
- キリアン・マーフィー
- トム・ホランド
- ベン・ウィショー
- ブレンダン・グリーソン
序盤のあらすじ
1850年、アメリカの新進作家ハーマン・メルヴィルは、トーマスという男を訪ねた。
トーマスはかつてエセックス号という捕鯨船に乗り組み、巨大な白いマッコウクジラと戦った人々の最後の生き残りだった。
渋るトーマスから当時の壮絶な実話を聞き出すメルヴィル。
1819年、エセックス号は捕鯨基地ナンタケットを出港した。
船長は家柄だけで選ばれた未経験者のポラードで、ベテランの一等航海士チェイスはそれが不満だった。
引用:Wikipedia
今作は、ナサニエル・フィルブリックの『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』を原作とし、家族の為、家柄の為、孤児である為、行き場を失った為など様々な理由で捕鯨船に乗り込んだ男たちの現実が生々しく描かれるとともに、海という自然の恐ろしさを痛感できる作品に仕上がっている。
そして邦題から感じ取ることの出来るイメージとしては、まるで映画のほとんどの時間を白鯨との闘いに割かれているかのように思えると思う。
しかしそうではなく、実際に白鯨と闘ったのはほんの一瞬の出来事でしかなく、基本的には大海原をなすすべもなく漂流するサバイバルを人間模様を絡めつつ描いている。
ただこれは悪い点などではなく当然の事だろう。
娯楽映画によくある長々とそういったシーンを流すのではなく、リアリティを重視し自然の猛威の前では人間などそれこそほんの一瞬で無に帰すことを表している。
なので、邦題的にも巨大なクジラとの戦いを中心に進むと思われてしまうのはある程度仕方のないことではあるのだが、それを期待して観ると肩透かしを食らうので注意。
今作に限った話ではないし、邦題のおかげで日本人に分かりやすくなっているものも無くはないので全否定するつもりは無いが、相変わらず邦題のセンスには疑問が残る。
冒頭にもあるが今作の原題は『In the Heart of the Sea』直訳すると『海の中心部に』となるので大分ニュアンスが変わる。
興行的な部分で変えるのだろうが、その作品の本質をしっかりと見極めたうえで付けてほしいものだ。
作品の評価の本質とはズレてしまったので戻るが、本作は小説『白鯨』に対するメタフィクション的なストーリーとして良い出来。
現代は当然の様に原油というものが存在してそれらを使う事で何不自由なく生活をしているが、この映画の舞台である時代の場合そんなものはなかった。
油と言えばクジラという時代だったわけだ。
そしてその漁は現代を生きる我々には想像を絶する労力と、とてつもない数の尊い命の上に成り立っているものだった。
そして期間も長く一度海へ出ると数年単位で戻らないのは当たり前であるこの漁を舞台に、農民の出ではあるが優秀な一等航海士と未熟な鯨漁の名門育ちのエリート船長という、生まれはおろか育ちも考え方も全く違うであろう2人を軸にしてとてつもなく長く辛い「海」そのものとの闘いを緊張感溢れる演出で描き切っている。
多くの人員や資源を割いてまで出港した捕鯨船。
収穫なしで帰るという選択肢は恐らくなかった。
リスクを承知で遠海へと船を進める。
ズブズブと海の深みにはまっていく。
そして出会う「海の恐怖」そのもの。
そこからどう生き延び、生還するのか。
終始緊迫感溢れる映像に見応えは充分な作品に仕上がっている。
個人的には再度、小説『白鯨』を読み直そうと思わせてくれたそんな作品だった。
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『スターリンの葬送狂騒曲』感想・紹介・レビュー【共産主義のコメディ】
スターリンの葬送狂騒曲
2017年に公開されたイギリス・フランスの歴史コメディ映画。
監督・脚本をアーマンド・イアヌッチ、共同脚本をデヴィッド・シュナイダー、イアン・マーティン、ピーター・フェローズが務めた。
出演
- スティーヴ・ブシェミ
- サイモン・ラッセル・ビール
- パディ・コンシダイン
- ルパート・フレンド
- ジェイソン・アイザックス
- マイケル・ペイリン
序盤のあらすじ
1953年のソ連・モスクワ。
ラヴレンチー・ベリヤ率いるNKVDは「粛清リスト」に基づく国民の逮捕粛清を実行し、ヨシフ・スターリンに対する国民の畏怖は、スターリンがラジオ生放送のコンサートの録音を欲すると関係者が急遽再演奏するほどになっていた。
コンサートのピアニストを務めていたマリヤ・ユーディナは、家族が受けた処分からスターリンを恨み、録音盤にスターリンを罵倒するメモを忍ばせた。
届いた録音盤を執務室で聞いていたスターリンは床に落ちたメモを拾って内容を目にすると笑い飛ばしたが、その直後に意識を失い、昏倒する。
執務室の外で警備に当たっていた二人の兵士はスターリンの倒れる音を聞き、一方は「中を覗いた方がいい」と言ったが、もう一方はそれに「黙れ。二人とも処刑される」と答え、結果二人とも執務室に入ることはなかった。
引用:Wikipedia
今作は、フランスのグラフィックノベル『La mort de Staline(スターリンの死)』を原作とし、1953年にソビエト連邦の独裁者スターリンが死去したことによって引き起こされた、ソビエト連邦内の権力闘争をメインに暗く重いロシア史の数ヶ月をコミカルに描き、まるでそれが数日間の出来事かのように思えるほど気軽に観ることの出来る作品。
実際の出来事をベースに描かれている作品ではあるが、細かい部分は歴史的には正しくない部分もあるのであくまでも歴史ドラマとして観る事をオススメする。
勿論、この当時の歴史の大局を抑える分には十分な出来にはなっているが、歴史を学ぶものとしてはあまり適していないので注意。
基本的にはスターリンの死をきっかけに後継者たちの権力闘争を描いたブラックコメディなのだが、演出としてはっきりとコメディという色付けをしているようなシーンは少ない。
しかし、視聴者ははっきりとコメディとしての印象を受けると思う。
それは共産主義体制という物自体が、共産主義ではない第三者の国や人から見ればそれだけで充分コメディとして見ることが出来てしまうからだろう。
代表例としては最近はあまり見ないが、一時期はやたらとニュースで目にしたであろう北朝鮮の国営放送や各種報道などは割とコメディチックに見える人が多いのと同じ。
今作はフィクションであり、コメディなので単純な娯楽映画として楽しむことも出来るのだが、実は相当毒強くもあり共産主義の本質を見事に表現している作品でもある。
人への敬意や人としての尊厳が感じられないディストピア的に、一般市民はおろか党幹部ですら友人、家族さえも信じることが出来ずに終始疑心暗鬼に陥っている様子が描かれているのも魅力の1つ。
そしてその疑心暗鬼に陥っている登場人物の心理描写が非常にしっかりと上手く、コメディ感や誇張は勿論あるのだが、変に過剰な演出がないのもあって内容的には割と真面目なのではと思わせる部分もあったりして面白い。
結果的にはコメディ、ブラックジョークと受け取る人が多いとは思うが。
歴史的に正しくないというような理由で各方面から色々言われている今作だが、映画の手法としてあえて誇張することによって本質をくっきりと浮かび上がらせることを成功させている見事な映画と言えるだろう。
小ネタ
2017年9月、ロシア文化省の高官は「社会の隆起を引き起こしロシアを不安定化させる西側の陰謀」という主張をして、作品の上映禁止を検討していると述べた。
今作は、ロシア・ベラルーシ・カザフスタン・キルギスで上映禁止となった。
ユーラシア経済連合の中ではアルメニアのみが上映を許可した。
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『ザ・フォーリナー/復讐者』感想・紹介・レビュー【ジャッキーの新機軸】
ザ・フォーリナー/復讐者
2017年に公開されたイギリス・中国・アメリカ合衆国合作のアクションスリラー映画。
監督をマーティン・キャンベル、脚本をデヴィッド・マルコーニが務めた。
出演
- ジャッキー・チェン
- ピアース・ブロスナン
- オーラ・ブラディ
- レイ・フィアロン
- チャーリー・マーフィ
- スティーヴン・ホーガン
- マイケル・マケルハットン
序盤のあらすじ
クァン・ノク・ミンはロンドンでチャイニーズ・レストランを経営していたが、ある日娘のファンの送迎中、爆発テロに巻き込まれ目の前で娘の命を奪われてしまう。
その後、北アイルランド解放を謳う過激派組織が犯行声明を出す。
クァンは、かつて過激派組織の活動家だったが現在は北アイルランド副首相となっているリアム・ヘネシーとコンタクトを取り、犯人の名前を教えるようにリアムに迫るが、リアムは無関係を主張し、彼を帰してしまう。
しかし、クァンはベトナム戦争時代、アメリカの特殊部隊に所属していた優秀な工作員だった。
やがてクァンはリアムを追跡するようになり、クァン、リアムとその一派、過激派組織の三つ巴の戦いが始まっていく。
引用:Wikipedia
今作は、スティーブン・レザーが1992年に発表した小説『チャイナマン』を原作とし、ロンドンでレストランのオーナーとして家族と平穏な生活を送っていたが、無差別テロによって愛する娘を奪われた男の静かに燃え上っていく復讐の炎を描いた作品。
この復讐劇の主人公をジャッキー・チェンが演じている訳だが、過去の有名作からのイメージからは中々想像出来ない役柄だと思う。
恐らくほとんどの人が「軽快でスピーディーなコメディと流れるような迫力満載のアクション」というようなイメージをする人が多いだろう。
今作はそんな雰囲気は一切なく、まさしくジャッキーの新機軸といったところ。
キャラクターの根幹として「老い」というものを武器にし、感情を抑えたシリアスな演技が光っていて個人的には好きだった。
そしてこれは良い点でも悪い点でもあるのだが、基本的に今までのジャッキー・チェンの主演作というのはジャッキーという偉大な存在ありきの作品が多かった。
今作はジャッキーありきではなく、しっかりと考えて作られている印象を受けた。
物語の進行の仕方が主人公の復讐劇と、首謀者の真相が明かされる様が同時進行的に進むミステリー的な展開を主人公が合間を縫うように前進していく姿は中々面白い。
ただ、本来は相手役が明確でその人物像も冒頭で描かれているからこそ復讐劇というのは成立する話なのだが、同時進行するミステリー的な作りかたのせいで視聴者が明確な理由を持った主人公と明確な悪役という構図が見れずに感情移入はしにくい。
復讐劇の典型的な作りに新たな角度で挑戦したという意味では一定の評価はするが。
そのチャレンジングな姿勢はいいのだが、演出の仕方がどっちづかずになってしまっている部分も少なくないのは正直残念。
主人公の設定として、静かに感情を高めていくような笑わないシリアスなキャラクターにしたいように見えるのにも関わらず、アクションシーンで打撃連打の際「ハイハイハイッ」という如何にもジャッキーのコミカルアクションとも取れる演出が有ったりと、どういう方向性で作ってるんだろうなと思ってしまった。
そこもシリアスにしてしまうと設定も含め完全にリーアム・ニーソン主演の『96時間』になってしまうのもあるのだろうが。
個人的にはあまり多くないシリアスめのジャッキーが見れたという事や、ジャッキーとピアース・ブロスナンという珍しい組み合わせが見れたのでそういう意味ではそれなりに楽しめたのでそこまで文句はない。
いわゆる視聴者が感情移入出来る「復讐劇」をシリアスに描きたかったのだとは思うが、色々考えすぎてしまったのかどっちづかず感が出てしまっている点が気になる人も多いとは思うが、それなりに楽しめる作品には仕上がっていると思う。
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『オンリー・ザ・ブレイブ』感想・紹介・レビュー【自然災害と戦う英雄たち】
オンリー・ザ・ブレイブ
2017年に公開されたアメリカ合衆国の伝記ドラマ映画。
監督をジョセフ・コシンスキー、脚本をケン・ノーラン、エリック・ウォーレン・シンガーが務めた。
出演
- ジョシュ・ブローリン
- マイルズ・テラー
- ジェフ・ブリッジス
- ジェームズ・バッジ・デール
- テイラー・キッチュ
- ジェニファー・コネリー
序盤のあらすじ
自堕落な日々を過ごしていたブレンダンは、恋人の妊娠をきっかけに真面目に生きることを決意し、地元の森林消防団に入隊する。
ブレンダンは毎日地獄のような訓練を過ごしながらも、チームを率いるマーシュら仲間たちとの絆を深め、少しずつ成長していく。
そんなある日、山火事が発生。
それは瞬く間に山を丸ごと飲み込むかのように拡大、ブレンダン達はさらなる延焼を食い止めるべく出動する。
引用:Wikipedia
今作は、2013年にアメリカ合衆国のアリゾナ州で発生した巨大な山火事「ヤーネルヒル火災」に立ち向かった精鋭消防部隊である、グラナイト・マウンテン・ホットショッツの奮闘劇を実話をベースに描いた作品。
ヤーネルヒル火災とは
アメリカ合衆国のアリゾナ州のヤーネルヒル近辺で起こった山火事。
2013年6月28日に落雷によって発生した火災はアメリカ史上最悪の山火事の一つになり、消火活動に出動した地元の消防隊であるグラナイト・マウンテン・ホットショッツのメンバー19人が死亡した。
この死者19人という数字は、消防士の犠牲者数としてはアメリカ同時多発テロ以降としては最多であり、山火事の犠牲者としては過去80年で最も多い惨事。
アメリカでの山火事というのは日本でも度々報道されているのでイメージのある人が多いとは思うのだが、あくまでも違う国での出来事なのもあってその規模の大きさなどはあまり記憶に残らないことが多いだろう。
日本国内で大規模な山火事というのが少ないというのも、起因しているとは思うが。
今作は実際の山火事をベースにしている上に、実際にアメリカの山火事で行われる消火方法なども再現されているために色々な面で学びがあり驚きがある。
恐らくほとんどの人が知らないであろうこととしては、山火事を消化するために溝を掘って向かってくる炎に対して逆側から新しく火を付けることで燃焼物を無くし、その結果炎を止めるという手法などは視聴者にとっては斬新に映るのではないだろうか。
それほどまでに考えられた方法を以てしても、短時間では完全な消化という形にはならない一度起きてしまえば延々と続く神々しさすら感じさせる炎が持つ恐怖と威力。
そしてその炎と真正面から向き合うグラナイト・マウンテン・ホットショッツという、過酷な訓練を受けたタフで気の良い精鋭部隊。
そんな彼らが個人個人が抱える家庭問題を含めた、苦悩や葛藤とも同時に向き合い「人」として成長していく姿もしっかりと描いていて、人間ドラマとしても見応えがあり心地よく観ることが出来る。
それらが更にあのラストをより一層、視聴者へ驚きと衝撃を与える事に一助している。
火災をテーマにした映画と言えば『バックドラフト』が有名で、興行的にも成功した例だ。
しかし、今作は興行的にも成功とは言えないし有名な作品でもない。
それは脚色があるとはいえ実話がベースとなっていて、映画的なカタルシスよりもそこにある真実や立ち向かった人々の勇姿、火災というものがもたらす悲惨さなどを重視し追求したものだからであって、作品としての出来が悪いとかそういうことでは断じて無い。
火災だけに限らず、自然災害に立ち向かう英雄とも言える人々の尊い献身の姿に多いに心揺さぶられると同時に、彼らへの尊敬の念を強く感じる素晴らしい作品だ。
グラナイト・マウンテン・ホットショッツの方々に、心より哀悼の意を表します。
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