『ジョーカー』感想・紹介・レビュー【届くことのない声】
ジョーカー
2019年に公開されたアメリカ合衆国のスリラー映画。
監督・脚本をトッド・フィリップス。共同脚本をスコット・シルヴァーが務めた。
出演
- ホアキン・フェニックス
- ロバート・デ・ニーロ
- ザジー・ビーツ
- フランセス・コンロイ
- ブレット・カレン
- ビル・キャンプ
序盤のあらすじ
時は1981年。
財政難によって荒んだゴッサムシティで暮らすアーサー・フレックは、母親ペニーの「どんな時でも笑顔で」という言葉を胸に、アルバイトの大道芸人(ピエロ)の仕事に勤しんでいた。
発作的に笑い出してしまう病気によって精神安定剤を手放せないうえ、定期的にカウンセリングを受けねばならない自身の現状に苦しみつつ、年老いた母を養いながら2人で生活していた。
アーサーには夢があった。
一流のコメディアンになって人々を笑わせ、注目を浴びたい。日々思いついたネタをノートへ書き記し、尊敬する大物芸人のマレー・フランクリンが司会を務めるトークショーで脚光を浴びる自分の姿を夢想していた。
引用:Wikipedia
今作はDCコミックス『バットマン』に登場する代表的なスーパーヴィラン(悪役)でタイトルにもなっている「ジョーカー」という1人のメフィストとも言える存在が誕生するまでの経緯が描かれている。
1つ注意点としてはジョーカーがジョーカーになるまでの経緯を描いてはいるが、DCコミックスが展開している『DCエクステンデッド・ユニバース』やこれまでに制作された『バットマン』の映画やドラマとは世界観を共有しない完全な単発映画だということ。
そして『バットマン』に出てくるジョーカーは明確なオリジンが示されてない上に、ジョーカー自身が狂人であるために語るたび出てくるたびに変化している。
そしてもっとも有名なエピソードとして「元は売れないコメディアンで犯罪を犯したところをバットマンから逃げる途中に薬品の溶液に落下し、白い肌に赤い唇に緑の髪に常時笑みをこぼしているような裂けた口の姿になった」というものがある。
本作は原作コミックや他の映像作品との関連性は撤廃して、一部を踏襲しながらも本作のジョーカーを「信用の出来ない語り部」という設定にすることで、この作品で語られるオリジンが事実であるかどうかは全くの不明という原作コミックの設定を引用するような形を取っている。
そしてそのジョーカーを演じたのが、ホアキン・フェニックス。
正直言うと『ダークナイト』の圧巻の演技と役作りによって唯一無二の存在を作り上げ、史上4番目の若さでアカデミー助演男優賞を受賞したものの、28歳でこの世を去ってしまったヒース・レジャー(受賞したのは故人になってから)の印象が強く残っていたのもあり、当時は彼以外にジョーカーを演じきれる人間は居ないとすら思っていた。
しかし今作のジョーカーはまさしく”新たなジョーカー”を見事に創造出来ていて、演出や脚本は勿論の事ホアキン・フェニックス自身もこの撮影にあたって80kgあった体重を「1日をりんご1個で過ごす」といった過酷な食事制限によって60㎏以下にまでするなどしたのもあって、元から存在するジョーカーの根幹にある物は踏襲しつつも異なる面も見ることの出来る新たな存在になっている。
それら制作陣の熱意と努力が功を成し、のめり込んでしまう事が出来るほどの作品に仕上がっている。
人によっては自分自身が抱える苦悩や、今いる境遇と作品が合致し共感してしまうとアーサーのことについて考え、社会の中でのアイデンティティの確立、善悪の判断に区別などに様々な感情が頭の中を駆け巡ってしまうかもしれない。
そういう意味では賛否両論が物凄く激しく分かれるだろうし、万人に勧められるか?と問われたら素直に首を縦には振りづらい。
しかし、観た結果今作に対する評価が賛否どちらだとしても得る物は多いと思う。
現代というネット社会の中で、ネットの中でも外でも様々な場所で誰にも届くことのない助けを求める声をあげている人々のその”声”をそのまま映像化したかのようで、視聴者の心をこれでもかとグサグサと突き刺してくるだろう。
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