『レナードの朝』感想・紹介・レビュー【奇跡の実話】
レナードの朝
1990年にアメリカ合衆国で公開された医療ドラマ映画。
医師オリバー・サックスの医療ノンフィクション作品『レナードの朝』を元に作られたフィクション作品で、監督をペニー・マーシャル、脚本をスティーヴン・ザイリアンが務めた。
出演
- ロバート・デ・ニーロ
- ロビン・ウィリアムズ
- ジュリー・カブナー
- ルース・ネルソン
- ジョン・ハード
基本的には原作を忠実に映像化してはいるのだが、若干相違点がある。
実話である原作では患者が20名居て、その全てに対しての記述が行われているが、映画ではあくまでもレナードに対する描写を主として物語は進んでいく。
内気で人との付き合い方が下手な医師マルコム・セイヤーと、不治の病に罹ってしまい少年時代から時が止まったままの患者レナード・ロウ。
この2人の心の交流と、医師だけではなく病院全体での副作用との闘いを静かではあるが、丁寧に緻密に描いた心理描写、心情描写を主体とするストーリー展開になっている。
作品の作り方自体もそうだが、レナードを演じたロバート・デ・ニーロが長い時が止まった患者という難しい役どころを何の違和感もなく演じきり、更に深みを持たせている。
そして医師セイヤーを演じたロビン・ウィリアムズは他人の悲しみが理解出来る医師を見事に演じきっている。
この2人の絶妙な表情の演技や、その時々の心情を表情や仕草で物凄く分かりやすく表現していることも、この作品が傑作である理由なのだと改めて実感した。
序盤のあらすじ
1969年、人付き合いが極端に苦手なマルコム・セイヤー医師が、ブロンクスの慢性神経病患者専門の病院に赴任して来る。
そもそも研究が専門であり、臨床の経験の全くないセイヤーは、患者との接し方で苦労するが、本来の誠実な人柄で真摯に仕事に取り組む。
そんなある日、患者たちに反射神経が残っていることに気付いたセイヤーは、ボールや音楽など様々なものを使った訓練により、患者たちの生気を取り戻すことに成功する。
更なる回復を目指し、セイヤーはパーキンソン病の新薬を使うことを考える。
まだ公式に認められていない薬ではあるが、最も重症のレナードに対して使うことを上司のカウフマン医師とレナードの唯一の家族である母親に認めてもらう。
引用:Wikipedia
時が止まった難病患者が目覚めるという奇跡、
目覚めたことによる喜び、心の葛藤。
患者・家族・医師・病院、その立場それぞれの心情がストレートに伝わってくる。
この作品を観ていると、そのいずれかの立場に自分がなっているような気さえして、色んな立場に感情移入してしまう。
子供のころから徐々に体が自由に動かせなくなって、20歳を越えたころには完全に時が止まってしまい、目覚めるのは齢50を越えてからというのが自分だったらと考えたがどういう感情になるのか難しすぎる。
目覚めることが出来た事自体には喜びを感じるかもしれないが、過ぎた年月に失ってしまった人生を思うと悲しみやそれに対する憤りなどという言葉だけでは言い表せない。
そして、あくまで薬が効いているからであって効かなくなってしまう可能性がある事の恐怖は計り知れないものだろう。
そんなことを考えながら観ていると、胸が締め付けられるような思いだった。
映画という作品を観て少し考えるだけでこうなってしまうのだから、当事者たちは自分では考えられないほどの悲しみを抱えていたのだろうと思う。
セイヤー医師を演じた、ロビン・ウィリアムズは2014年に自死している。
アルコール依存症の治療を受けていたことや、鬱状態、パーキンソン病、レビー小体型認知症だったことも明らかになったが、彼自身が経験したものがこの作品の演技に反映されていたのかもしれないと考えると、何とも複雑な気持ちになる。
何度も読み返したくなる原作を何度も観直したくなる映画にしてくれた製作陣に、ロバート・デ・ニーロは勿論ロビン・ウィリアムズを称賛したい。
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