『マーキュリー・ライジング』感想・紹介・レビュー【暗号と少年】
マーキュリー・ライジング
1998年に公開されたアメリカ合衆国のサスペンスアクション映画。
監督をハロルド・ベッカー、脚本をローレンス・コナー、マーク・ローゼンタールが務めた。
出演
- ブルース・ウィリス
- アレック・ボールドウィン
- ミコ・ヒューズ
- シャイ・マクブライド
- キム・ディケンズ
- ボッジ・パイン・エルフマン
- ピーター・ストーメア
序盤のあらすじ
FBIシカゴ支局のアート・ジェフリーズ特別捜査官は潜入捜査のベテランである。
自ら潜入していた過激な民兵の一味が銀行にて人質立てこもり事件を起こした際、アートの警告を無視してFBIが強行突入をした結果、銃撃戦が起こったためメンバーの一員だった少年が射殺される。
アートは怒りから強行突入を命令した上司のハートリーを殴ってしまい、罰としてポジションを外され、一般事件の捜査に配置換えされる。
所轄警察署の要請で、アートは無理心中事件に臨場する。
だが、アートは無理心中ではなく「何者かによる殺人事件」と断定。
殺された夫婦の息子で、押入れから発見された自閉症児のサイモンを入院させ、所轄署に保護を命じた。
引用:Wikipedia
今作はNSA(アメリカ国家安全保障局)が軍事暗号「マーキュリー」で書かれた懸賞を匿名でパズル紙に載せると、9歳の少年サイモンがそのパズルを解読し出てきた番号に電話をしたために、海外諜報員の安全を理由に暗号が破られてしまった事実をサイモンを抹殺することで隠蔽しようとするが、それ関連する事件で1人のFBI捜査官が違和感を感じ・・・、といった展開で進んでいく。
ストーリー展開は至ってシンプルで分かりやすい。
難解な伏線も変などんでん返しのようなものもなく、FBI捜査官ではあるが若干異質という役どころをこれまたピッタリなブルース・ウィリスが演じ、NSA暗号開発責任者をアレック・ボールドウィンが演じているので、際立つ2人のキャラクターによってシンプルではあるもののしっかりとサスペンスアクションとしての見応えは備えている。
ブルース・ウィリスの代表作でもある『ダイ・ハード』に子供という要素とサスペンス要素を加えたような作品というとしっくり来るかもしれない。
典型的なアメリカ映画と言われてしまえばそれまでかもしれないが、自分の子供だろうが他人の子供だろうが自らの子供のように扱い、守る。
その理由は人それぞれ様々だとは思うが、どんな理由にせよ素晴らしいこと。
そんなアメリカ的かもしれないが愛を感じられるのも今作の良い所。
まぁ、サスペンスとしてちゃんと観ようとすると粗が多いのも事実ではあるのだが。
運用開始前であればまだ100歩譲って分かるが、運用中に高度なナショナルセキュリティに関するコードを掲載してしまうのは正直論外。
そのコードを1人の子供が解読してしまう、というのは無くはない話ではあるとは思う。
しかし、その両親やその本人を殺すことで解決って、それ解決になってるか?という疑問は誰しもが浮かぶ。
そもそも1人が解読できたのなら他にも解読できてしまう人間が居ると考えるのが普通で、そうであるならばそのコード自体が使用するレベルに達していないと思うのが当然な流れだとは思う。
20年以上前の作品ということも勿論あるのだが、そのあたりは色々無理筋なので気になる人には正直向かないというか、がっつりサスペンスとして観るべきではない。
あくまでサスペンス要素が少し乗っかったアクション映画として考えると、娯楽作品として十分な仕上がり。
ストーリー展開のテンポも、中盤の一部と終盤に少し気になる部分もあるが序盤でしっかりと視聴者を引き込む流れがあるので、何だかんだで観進めていける。
それとやっぱり、ブルース・ウィリスはこういう役柄やらせたらハマるなぁ、と改めて実感する作品。
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『存在のない子供たち』感想・紹介・レビュー【存在を示す為に少年は叫ぶ】
存在のない子供たち
2018年に公開されたレバノンのドラマ映画。
監督・脚本をナディーン・ラバキー、共同脚本をジハード・ホジェイリ、ミシェル・ケサルワニ、ジョルジュ・カッバス、ハーレド・ムザンナルが務めた。
出演
- ゼイン・アル・ラフィーア
- ヨルダノス・シフェラウ
- カウサル・アル・ハッダード
- ファーディー・カーメル・ユーセフ
- シドラ・イザーム
- アラーア・シュシュニーヤ
- ナディーン・ラバキー
今作は、エチオピア移民であるラヒルとその息子のヨナスとの出会いを含んだゼインの人生に焦点をあてて、回想形式で子供たちが直面する様々な問題を描いている。
実際にシリア難民であった子役のゼイン・アル・ラフィーアがベイルートのスラム街に住む12歳の少年ゼインを演じていて、役名は本人の名前から来ている。
序盤のあらすじ
わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。
訴えた相手は、自分の両親だ。
裁判長から、「何の罪で?」と聞かれた ゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。
中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。
学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に働かされている。
唯一の支えだった大切な妹が 11 歳 で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、大人たちが作ったさらに過酷な“現実”だった──。
引用:2018MoozFilms
この映画は、数々の映画を観てきた中でも様々な重さや凄さを含んだ作品だった。
出演しているキャストのほとんどが作品内の役柄と同じような人生を苦悩とともに歩んだ来た人たちで、俳優という意味でいうのであれば経験が浅いかそもそも素人。
だが、だからこそそこには真実味があるとともにその人がその役を演じるからこその重みを凄く感じる。
邦画にも児童虐待、育児放棄をテーマにした作品『誰も知らない』という作品があるのだが、今作の主人公に関しては両親は健在なうえ家もありその違いはかなり大きい。
しかし、いわゆる貧困家庭だということも自覚せず何の計画性も持たないままに子供だけを増やしていくという典型的なモデルケース。
どんな事情が有ろうが、自らの子供に
「僕を産んだ罪」
「育てられないなら産むな」
なんていう言葉を言わせてはいけない。
それを言ってるのが実際そういう境遇で育った人が言うのだから、これ以上重い台詞があるのだろうか。
不安定な社会や家庭で”普通に生きる”ということは、こんなにも辛く厳しいもののそこを離れるという決断をする難しさ。
そんな状況下でも”生きる”ことを懸命に選び、自らが生きられる方法や道を探しながら前に進み続け、自らの存在を示すために社会に対して声を上げる少年の姿は勇ましさすら感じるが、そうしなければいけなかった背景を考えると胸が痛む。
そして実際に自ら声を上げられる子供は恐らく一握りどころか、ほぼ居ないだろう。
今現在世界中にかなりの数の存在のない子供が居るのだと考えると・・・
無計画に産み、案の定育てられなくなり、挙句の果てに対した努力もせずに子供を売る、捨てる。
子供たち同士でどうにか助け合いどうにか踏ん張って生きている子、助け合える仲間も見つからずその尊い命を失ってしまう子。
そんな子供たちが今すぐに居なくなるなんていう事は夢物語だとは思う。
しかしその数が1人でも少しでも減る様に、本当は当然の事ではあるのだが大人たちがしっかりと責任を持ち考えた上で行動しなければならない。
その上で日本に限った話ではないが、人として人間として生きるという権利が当然の様に確保され、その存在が公に認められている社会で生きていることがどれだけ幸せな事なのかと思い知らされる。
正直今作は重く、苦しく、どうしようもなく辛い気分になるがその感情があって初めて現実と向き合えると思うので目を背けることなくしっかりと観て目に心に焼き付けてほしい。
小ネタ
プロデューサーのハーレド・ムザンナルは映画に費やす予算を増やすために自宅の住宅ローンを借りた。
撮影は6か月に及び、映像は12時間のカットとなった。
その12時間の映像を2年以上の時間をかけて編集作業を行われた。
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『ホテル・ムンバイ』感想・紹介・レビュー【変貌する日常】
ホテル・ムンバイ
2018年に公開されたオーストラリア・インド・アメリカ合衆国の歴史ドラマ映画。
監督・脚本をアンソニー・マラス、共同脚本をジョン・コリーが務めた。
出演
- デーヴ・パテール
- アーミー・ハマー
- ナザニン・ボニアディ
- ティルダ・コブハム=ハーヴェイ
- アヌパム・カー
- ジェイソン・アイザックス
2008年にインドで起きたムンバイ同時多発テロの際に、タージマハル・ホテルに閉じ込められた宿泊客500名の人質とプロとしての誇りをかけて、彼らを救おうとするホテルマンたちの雄姿を描いた作品。
ムンバイ同時多発テロ
2008年11月26日の夜、インド最大の都市であり産業の中心地として栄えたムンバイで、外国人向けのホテルや鉄道駅など複数の場所がイスラーム過激派と見られる勢力によって、同時多発的に発生した。
少なくとも172人ないし174人が死亡、239人の負傷者を出したことが確認されている。
序盤のあらすじ
2008年11月、正体不明の青年たちがインド・ムンバイに上陸した。
それは惨劇の始まりだった。
青年たちはムンバイ南部のCST駅を襲い、無差別の殺戮を始める。
テロリストの次の標的はタージマハル・ホテルだった。
ホテルのロビーで機関銃を乱射し、ホテルは占拠される。ロビーを制圧したテロリストたちは、1階ごとの惨殺を開始する。
難を逃れた宿泊客を率いて、安全な場所を求めるホテルマンたちの逃避行が始まる。
多くの宿泊客を守るため、誇り高きホテルマンたちは必死の戦いに挑む。
ニューデリーの治安部隊が到着するまでのホテルマンたちの長い戦いが始まったのだ。
引用:Wikipedia
この事件、当時ニュースで見ていた時も思ったことを映画を観て改めて思ったことが有る。
同時多発テロ事件というだけで悲惨は悲惨なのだが、対応に当たった地元警察やインド軍の対応力のなさがまた悲惨。
確かに同時多発テロ事件の場合、文字の如く複数箇所で同時多発的に起こるが故に警察や軍を含む様々な機関の機能がマヒしてしまう面もあるといえばある。
とはいえ、舞台となったホテルには500名もの人質が居て虐殺が行われているのにも関わらず、救出に向かったのは僅か6名というにわかには信じがたい人数。
悲しいことに世界中でテロ事件というのは無くなることは無いが、ここまで事後対応の酷い事件はあまり知らない。
作品でもそういった面をきちんと描いているのも良かった。
アメリカ映画的に1人のヒーローが現れて何だかんだ何とかなって終わるような展開にはせずに、事件の悲惨さ、事後対応の遅れや対応の仕方によってここまで酷い事態に陥るという意味での悲惨さがこれでもかと伝わってくる。
そして、事件で殺害されてしまった人質同士やテロリスト同士の詳細な会話などは、記録していたということは無いとは思うのだが、作中で交わされるちょっとした会話が事件の本質からそう遠くは外していないように感じ、それが更に作品をよりよい物に昇華させていると感じた。
こういった系統の作品だとテロリスト側は単なるテロリストとしてしか描かれないことが多い。
しかし今作では、こういったシーンが実際にあったのかは知る由もないのだが、まだ若いであろうテロリストたちがホテル内の設備を見たり、ピザを初めて食べてはしゃいだりしているシーンを挿入することで、テロリストを扱った単純なパニックムービーに仕立てていないのも個人的には好感。
勿論テロなど言語道断で行われてはいけない行為であることは確かなのだが、テロの実行犯のほとんどは普段は上記に書いたように笑い、はしゃぐようなただの若者であることが多い。
そのテロリスト側のちょっとした情景が見えると、また更になんとも言えない感情が湧き上がってくる。
そういった被害者側や救出する側だけでなく、テロリスト側の視点もしっかりと取り入れることによって、”人間”というものが起こした事件であることを痛感できる。
そしてメッセージ性だけでなく、映画としての見応えもしっかり押さえているのも素晴らしい。
映像から感じ取ることの出来る緊張感
張り詰めた空気から感じる緊迫感
それらはまるでその当事者になったかの如く、視聴者に襲い掛かってくる。
実在する特定の人物を過剰に美化したり、過剰に悪として描くことをせず事件をしっかりとそのまま伝えているのに、映画として面白いという傑作と言うほかない作品。
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『ベスト・オブ・エネミーズ ~価値ある闘い~』感想・紹介・レビュー【人種と人間】
ベスト・オブ・エネミーズ ~価値ある闘い~
2019年に公開されたアメリカ合衆国の歴史ドラマ映画。
監督・脚本をロビン・ビセルが務めた。
出演
- タラジ・P・ヘンソン
- サム・ロックウェル
- ウェス・ベントリー
- バボー・シーセイ
- アン・ヘッシュ
- ブルース・マッギル
今作は、1971年のノースカロライナ州ダーラムという黒人差別が根強く残るアメリカ南部の街で、黒人学校と白人学校の統合をめぐり住民同士が話し合いで解決を目指している中で、KKKの支部長と女性黒人活動家という正反対、両極端な立場に居る2人が少しづつお互いを理解していくさまを実話ベースに描いている。
序盤のあらすじ
1971年、ノースカロライナ州ダーラム。同地の学校では人種隔離政策が取られており、白人の児童の教室と黒人の児童の教室が分かれていた。
それに異を唱える住民とそれを支持する住民たちの対立は深まる一方であった。
事態を重く見た役所はアン・アトウォーター(人種隔離に反対する公民権運動家)とC・P・エリス(人種隔離に賛成するKKKの幹部)を招いて協議の場を設けた。
「白人男性のKKK幹部と黒人女性の公民権運動家が議論したところで、すれ違いに終わるだけだ」と誰もが思っていた。
引用:Wikipedia
KKKという組織を知らない人、名前は聞いたことあるけど詳しくは・・・という人に向けて軽く説明するとKKKとは「クー・クラックス・クラン」の略称でいわゆる”白人至上主義”と言われる団体。
ただ正確には、北方人種を至上として黒人やアジア人にヒスパニックを含む、他人種の市民権に対して異を唱えていて、更にはカトリックや同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
KKKをテーマにした作品『ブラック・クランズマン』はこちら。
冒頭で正反対、両極端という表現をしたがこの説明を読んでもらえればその意味を理解してもらえると思う。
今からたかだか50年前なのにも関わらず、人前で自分はKKKだと声に出して言うような世界が普通に存在していたと思うと恐ろしさを感じる。
現代でも人種差別問題というのは、無くなることのない悲しい理不尽な物として存在しているが、中々人前で「私は人種差別者です」などと大っぴらに言うような人はまず居ないだろう。
人類史上最大の問題と言ってもいいテーマを、しっかりと伝えつつ作品として成立させている。
いわゆる人種差別を描いた作品というのは、どちらか一方をとことん醜く描くことで視聴者の同情を誘う物や、それを越えておぞましさや怒りを感じさせるものが多いのだが、今作は人種関係なくどちらの立場も背景を掘り下げているので、短絡的な批判になっていないのも素晴らしい。
そんなこのテーマにしては珍しい展開のさせ方の中で俳優陣の名演が光る。
KKK支部長を演じたサム・ロックウェルは、彼以外がこの役を演じている画を全く想像が出来ないくらい雰囲気や空気感がピッタリ。
女性黒人活動家を演じたタラジ・P・ヘンソンは、典型的といえば典型的ではあるものの他の人では醸し出せない圧倒的な存在感。
他の俳優陣も含めた名演のおかげもあって、実話ベースの美談ではあるが飾り気なく描かれ、当時のアメリカ南部が抱えた負の問題をテーマにしていても変に重苦しくなく進むので、黒人差別がまた改めて表面化しクローズアップされている今、その問題を1度観て考えてみては如何だろうか。
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『リチャード・ジュエル』感想・紹介・レビュー【英雄と冤罪】
リチャード・ジュエル
2019年に公開されたアメリカ合衆国の伝記ドラマ映画。
監督をクリント・イーストウッド、脚本をビリー・レイが務めた。
出演
- ポール・ウォルター・ハウザー
- サム・ロックウェル
- キャシー・ベイツ
- ジョン・ハム
- オリヴィア・ワイルド
今作は、1997年に雑誌『ヴァニティ・フェア』に寄稿された、マリー・ブレナーの記事『American Nightmare: The Ballad of Richard Jewell』(アメリカの悪夢:リチャード・ジュエルのバラード)を原作として、1996年に行われたアトランタオリンピックで爆発物を発見し多くの人々を救った英雄だったはずの彼が、FBIはおろかマスコミにすら容疑者と見なされた実在の冤罪事件を描いている。
序盤のあらすじ
1996年7月27日、警備員のリチャード・ジュエルはアトランタ五輪の会場近くの公園で爆発物を発見した。
リチャードの通報のお陰で、多くの人たちが爆発前に避難できたが、それでも2人の死者と100人以上の負傷者を出す大惨事となった(避難の最中に心臓発作で亡くなった人間も出た)。
マスメディアは爆発物の第一発見者であるリチャードを英雄として持ち上げたが、数日後、地元紙が「FBIはリチャードが爆弾を仕掛けた可能性を疑っている」と報じた。
それをきっかけに、マスメディアはリチャードを極悪人として糾弾するようになった。
また、FBIはリチャードの自宅に2回も家宅捜索に入り、彼の知人たちにも執拗な聞き込みをするなど常軌を逸した捜査を行った。
引用:Wikipedia
この映画を観ると改めて実感するのだが、流行したてだったり運用初期の制度や仕組みの杜撰なこと杜撰なこと。
現代では当たり前のように使われ、そのおかげで様々な事件の解決や捜査の進展に貢献しているのだが、この事件当時流行していたプロファイルの酷さは凄い。
どんな方法でもいいから何とかして主人公であるリチャードの証拠を引っ張ろうと、捏造するというあってはならない手段さえも事実な上に、それをやってるのが連邦捜査局ぐるみでやってたってなんというジョーク。
勿論、捜査に熱意をもって励んでくれるのは一般市民からしたら有難いことではあるが、それなりの権力と力がある人たちや組織がその熱意の方向性を少しでも間違えた時の恐ろしさといったら・・・。
そんな事実とはとてもじゃないが思えない酷さを含め、冒頭から目を離せない展開で始まったと思えば俳優陣の感情を揺さぶられる熱演。
それら素晴らしい要素が途切れることなく進みラストまで続くという1つの作品としてかなり上手くまとまっている。
ただ、気になる部分がないわけではない。
描かれたことが事実なのかどうかは分からないし、それは一旦置いておく。
作中で実際の関係者である記者のキャシー・スクラッグスがFBI捜査官から情報を得るためにした行為というか描写は、これを描く必要性を少し疑問に思った部分だった。
映画公開時にはキャシー・スクラッグスは故人となっていてこの映画の描写について、反論や意見をすることが出来ない状況だった。
そのような人に対する描写としてはあまり適切なものではなかったような気はする。
勿論それが事実なのかもしれないが、そうだとしてどうしても必要だったとしてもせいぜい匂わす程度で良かったのではと。
実際のシーンに関しては、批評家だったり記者の一部から激しく批判をされていて彼女が所属していたAJCは「記者の描写は衝撃的であり、真実ではない」というような主張もしているので、真実は定かではないが個人的にはどっちだとしても故人をむやみやたらに憶測を呼ぶような描き方は、うーん・・・と思ってしまった。
裏を返せば(事実かどうかは別として)、それだけ丁寧に細かく事件についての描写がなされているので、登場人物の気持ちが手に取るようにわかる。
いわゆる正義が勝つといった単純で分かりやすい物という訳ではないが、どこか危なっかしい主人公が終盤で魅せる怒濤の反撃で視聴者も同じように勝利をかみしめることの出来るような展開は相変わらずクリント・イーストウッドらしいなと感じた。
いわゆるステレオタイプ的な描き方が全くダメって人には向かないと思うが、自身や組織の保身の為であれば道を踏み外し、他人を陥れるだけでは飽きたらず様々な情報の捏造などを行うというのは今までも国や組織や会社に関わらず存在する話で、そこには膨大な数の被害者が居るという事を考えさせられる作品として素晴らしい仕上がりなので1度観てみてはいかがだろうか。
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『ボーン・コレクター』感想・紹介・レビュー【安楽椅子探偵と猟奇殺人犯】
ボーン・コレクター
1999年に公開されたアメリカ合衆国のサスペンス映画。
監督をフィリップ・ノイス、脚本をジェレミー・アイアコーンが務めた。
出演
- デンゼル・ワシントン
- アンジェリーナ・ジョリー
- クィーン・ラティファ
- マイケル・ルーカー
- エド・オニール
- マイク・マッグローン
序盤のあらすじ
ニューヨークで深夜、トンネルの工事現場で明らかに他殺とみられる遺体が発見され、辣腕の科学捜査官リンカーン・ライム(デンゼル・ワシントン)が派遣された。
リンカーンは重要な証拠を採取する前に現場を荒らされたくないがために自分以外の捜査官を全て遺体発見現場から遠ざけ、一人狭いトンネルの奥に潜り込んで行った。
瓦礫の下敷きになっていた遺体の顔を見ると、リンカーンは驚愕した。
そこに横たわっていたのは自分の遺体で、驚愕のあまり硬直している間にトンネルの上から重い金属製のパイプが降ってきた。
引用:Wikipedia
今作はジェフリー・ディーヴァーの同名小説を原作とし、脊髄不随となったリンカーンが安楽椅子探偵として、相棒のアメリアと様々な困難に立ち向かいながら事件をいかにして解決していくかを描いている。
安楽椅子探偵とは
安楽椅子探偵(あんらくいすたんてい、アームチェア・ディテクティブ、Armchair Detective)とは、ミステリ用語。現場に赴くなどして自ら能動的に情報を収集することはせずに、室内にいたままで、来訪者や新聞記事などから与えられた情報のみを頼りに事件を推理する探偵、あるいはそのような趣旨の作品を指す。
狭義では、その語の通り、安楽椅子に腰をおろしたままで事件の謎を解く者を指すが、実際にはもっと広く曖昧な範囲を含む。
引用:Wikipedia
隙のない豊富な知識を活かし、天才という表現をするほかない推理力に洞察力で事件の細部まで1つ1つ丁寧に割り当て掘り下げていき、決して迅速ではないかもしれないが着実に犯人へと辿り着こうとする様が、観ているこっちまで一緒に謎を解いているような気分になりハラハラドキドキが止まらない。
そしてこの作品の公開当時(1999年)はこういった猟奇殺人を描いた作品が多く存在し、言ってしまえば飽和状態だった。
そんな状態で同系統の作品だったのにも関わらず、当時の同系統作を一気に凌駕するような面白さが今作にはある。
そもそも主人公が脊髄不随で身体が思うようには動かない男という、かなりの無理筋ではあるのだがそこを違和感なく通すことの出来る展開は素晴らしい。
それでいて演じたのはデンゼル・ワシントンなのだから言う事なし。
相棒役を演じ、今作が劇場公開作品では初主演となるアンジェリーナ・ジョリー。
彼女もTV作品で活躍していたとはいえ、初主演というのはにわかには信じにくい輝きを見せている。
俳優陣から脚本、演出、カメラワークまでかなり洗練された作品ではあるのだが、今の時代になって観ると結構な割合の人が良くあるサスペンスドラマっぽいなと思うかもしれない。
ただそれは、この作品が凡庸ということではなく今作が1つの作品として完成された物だったために後の作品へ様々な点で影響を与えたということ。
娯楽作品としてとても優れた内容と仕上がりでラストまで緊張感を保ち、視聴者の目を離させない展開は素晴らしいが、現代の同系統作品の教科書的存在がゆえに視聴後に深く印象に残るかと言われるとそこまででもないのが若干残念ではある。
当時観た時は時代も相まって洗練された内容と、驚きの展開で凄く残った記憶があったのだが、今見返すとどうしても残りづらい。
勿論、今作のおかげで様々な面白い作品が生まれたのは言うまでもないし、その始まりたる作品は時が過ぎるとどうしても普通っぽく見えてしまうのは仕方のない事ではあるんだけどね。
小ネタ
今作で劇場公開作品としては初の主演を演じたアンジェリーナ・ジョリーだが、キャスティング時に彼女が出演しているTV映画を見たデンゼル・ワシントンは「驚愕した。これほど力のある女優が今まで眠っていたなんて信じられない」と語っている。
『バハールの涙』感想・紹介・レビュー【太陽の女たち】
バハールの涙
2018年に公開されたフランスのドラマ映画。
監督・脚本をエヴァ・ユッソン、共同脚本をジャック・アコティが務めた。
出演
- ゴルシフテ・ファラハニ
- エマニュエル・ベルコ
- ズベイダ・ブルト
- マイア・シャモエヴィ
- エヴィン・アーマドグリ
- ニア・ミリアナシュヴィリ
- エロール・アフシン
邦題は『バハールの涙』だが、原題は『Les Filles du Soleil』で意味は「太陽の女たち」で主人公バハールが結成した女性だけの戦闘部隊の名称と同名。
2014年にISがイラク北西部のシンジャル山岳地帯に住む少数民族ヤズディ教徒を襲撃した事件から着想を得て、ISに奪われた息子を助け出すために女性だけの戦闘部隊を結成し、その戦いの最前線へと身を投じたクルド人女性であるバハールと彼女たちを取材する女性ジャーナリストのマチルドの姿を描いた作品。
今この時も記事を書いているときも映画を観ているとき、食事をしているとき、睡眠をとっているとき、世界中で多くの人々が理由にならない理由によって虐げられて、今作の様に理不尽に一瞬にしてこの世から存在を消される。
日本という国に住んでいたら実感など出来ないであろうが、虐殺や誘拐に人身売買などといった犯罪が日常茶飯事に起こっている。
そしてそういった出来事はほとんどニュースにはならない。
ニュースになるのは極一部も一部、そしてなったとしてもそれを見た人は一瞬にして忘れてしまい、明るいニュースだけを記憶し暗いニュースは見ないふりをする。
作中で似たようなセリフがあるのだが、正にその通りであると改めて痛感する。
いま世界中で新型コロナウイルスに関係するニュースがこれでもかと報道されているが、そんなのは先進国だけで、今は生きているが来週、明日、数時間後、数分後に自分が生きているのか分からないまま様々な状況と必死に戦っている人々が居るという事。
序盤のあらすじ
クルド人の女性で弁護士のバハールは、イラクのクルド人自治区内にある故郷の町で夫と息子と共に幸せに暮らしていたが、ある日、町がIS(イスラミックステート)の襲撃を受け、夫を始め男性が皆殺しにされ、息子を戦闘要員として育成するために連れ去られ、自身もISの幹部に性奴隷として売り飛ばされてしまう。
やがて命からがら逃げ出したバハールは息子を必ず取り戻すことを決意、同じ被害に遭った女性を集めて女性だけの戦闘部隊「太陽の女たち」を結成、ISとの闘いに身を投じていく。
引用:Wikipedia
観進めていくと、実在の事件がモチーフとなっているということが信じられないほどの苦しさを感じ、せめて作り話であってくれと思いたくなる。
それほどに今作は当人たちのありのままの実情を伝えることに成功している。
作中でクルド人女性たちが歌うシーンがあるのだが、歌だけでなくそのシーンが本当に心に刺さる。
「女性」というだけで不当に理不尽に踏みにじられてきた人々が、その「女性」であることを誇りにして「女性」だけで戦うことの切なさ、美しさ。
安易な感情による涙などではなく、様々な感情が複雑に絡み合って気付けば頬を伝っている。
映画的な見方をすればハリウッド的にはっきりとしたラストを求める人も居るだろう。
しかし今作はそうじゃないからこそ素晴らしいということを分かってほしい。
こういった悲惨などという言葉では表現しきれない出来事は、悲しいことに恐らく無くなることは無いのだろう。
それをまざまざと感じさせてくれるこれ以上ないラストだった。
傍観者というのは楽だと思う人が多いだろう。
だが本当にそうだろうか?
傍観者であり続けるのは居心地のいいことではない。
小ネタ
女性ジャーナリストマチルダはメリー・コルヴィンとアーネスト・ヘミングウェイの3番目の妻で従軍記者であったマーサ・ゲルホーンをモデルとして描いている。
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『ザ・バンク 堕ちた巨像』感想・紹介・レビュー【リアリティ重視のサスペンス】
ザ・バンク 堕ちた巨像
2009年に公開されたアメリカ・ドイツ・イギリス共同制作のサスペンスアクション映画。
監督をトム・ティクヴァ、脚本をエリック・ウォーレン・シンガーが務めた。
出演
- クライヴ・オーウェン
- ナオミ・ワッツ
- アーミン・ミューラー=スタール
- ウルリク・トムセン
- ブライアン・F・オバーン
今作は1980年代にマネーロンダリングや金融犯罪を犯し、1991年に経営破綻したThe Bank of Credit and Commerce International=BCCI=国際商業信用銀行と言う金融機関をモデルに、インターポールの捜査官とアメリカの地方検事がIBBCという商業銀行が加担した金融犯罪をクライヴ・オーウェンらしさ溢れる知的なガンアクションを盛り込みつつ描いている。
純粋なサスペンス映画として観ると、サスペンスを構築する謎の深さに難解さやテンポは突出したものはそこまで感じないが、舞台となっている世界各国を代表する建造物を背景に流れていく映像はそれだけでその世界観に引き込まれる美しさ。
そして銀行を相手取ったサスペンスというのは、そこまで多くないのでそういった意味では珍しい設定なのではないだろうか。
銀行と政府や反政府組織との癒着は勿論の事、テロや犯罪組織が関わっている様をリアリティを感じるようにしっかりと工夫され組み込まれているのも素晴らしい。
このリアリティを感じさせる設定に俳優陣も一役買っていて、主人公を始めとして相手もアクション映画にありがちな超人的な格闘術や身のこなし、ガンスキルなどは一切持たずに地に足のついた演技でエンターテインメントで魅せるというよりも、リアルさで魅せてくる作りで正統派といったところ。
序盤のあらすじ
国際メガバンクIBBCの違法行為を捜査するインターポールのルイ・サリンジャーの目の前で証人が死ぬ。
ベルリンに検事補エレノア・ホイットマンを呼ぶが、警察からドイツ国内での活動を禁じられてしまう。
インターポール本部に戻ったサリンジャーは証人の関係者の死に関する報告に矛盾を発見、ルクセンブルクのIBBC本部に乗り込む。
頭取との面会は断られ、矛盾も修正されていたが、IBBCの犯罪を知る重要人物の情報が入る。
引用:Wikipedia
刑事を主人公に据えた作品は数多く存在する。
そして同系統の作品に多いのが、必要なのか良く分からない恋愛要素と簡潔に描けばいいのに長々と説明的な演出で主人公の背景を描く作品。
勿論その要素を盛り込んでいてもしっかりと、サスペンス要素を薄くせずに成立している作品もあるのだが、そうじゃない作品が多いこと多いこと・・・
そんな感じになってしまうのであればその要素ごと取っ払えばいいのに、と毎回思ってしまう。
今作はその心配が無く観れたのはかなり良かった。
作風が似てるわけではないが、『ダーティハリー』や『フレンチ・コネクション』のような感覚で観る事が出来るので割とお気に入りだったりもする。
ただ、今作は今作で前半は話の展開含め色々盛りだくさんなのだが、それと比較すると後半は急に失速したように内容がスカスカになってしまうのが正直残念ではある。
その分銃撃戦シーンは背景の建造物も見事で見応えはあるから、相殺している?かも。
サスペンス要素のあるアクション映画を、世界各国の歴史的建造物や空撮の映像美とともに楽しみたい人にはピッタリな作品。
小ネタ
作品に出てくるIBBCのモデルは1991年に経営破綻したルクセンブルクを中心に展開していた国際商業信用銀行。
グッゲンハイム美術館は巨大なレプリカを製作し撮影を行った。
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